諸君ら、宇宙人は存在すると思うか?
私はどっちでもいいのだが、SFは大好きだ。
スペースオペラには興味がないが、我が家には「ブレードランナー」、「ブレードランナー2045」、「オデッセイ」、「ゼロ・グラビティ」、「第9地区」、「エイリアンシリーズ」、「ガタカ」、「未来世紀ブラジル」、「攻殻機動隊」のブルーレイがPCデスク横に飾られていて、寝室には「AKIRA」単行本、「ANUBIS ZONE OF THE ENDERS」が飾られている。
わかるだろ。SF大好きなんだよ!
そんな中、私が愛してやまない名作がある。
好きな漫画ランキングトップ10には入るのに、意外とみんな知らない。
それが「ベントラーベントラー」である。
「地球外より侵入した生物及び漂着物に対する処遇を在地球外生物に仰げ」。これが首都圏民営警察外星生物警備課における「ベントラーベントラー」の意味である――。地球危機レベルの大問題、複雑怪奇な外星人とのコミュニケーションも、うやむやのうちにゆる~く解決したりしなかったりする「のほほん」SF。SF的にかなりしっかりした内容とは裏腹に、ひたすら脱力感溢れる、ゆる~いテイストでお届けします!!
地球外星人が当たり前に暮らす未来の地球が舞台のお話。生体構造が違ったり、オーバーテクノロジーだったりで、地球人にはお手上げのトラブルが多発! 民営警察の外星生物警備課に勤務する牧原澄子(すみちゃん)は、カニ座方面出身の外星人クタムさんと協力して事件解決に挑む! でもこのクタムさんが困った人で……。公式ページより引用
では本作の魅力を語らせていただく。
書いたはいいが、あまりに好きすぎて壮大な記事になって、ちょっとわけわかんなくなっている。
稚拙な文章なのはお許しいただきたい。
これを適切に表現できるだけの文章力や解析力は私にはないのだ。
でも伝わってほしい!
本当にいい作品なのだ!
日常に溶け込む少し不思議な非日常
SFというと、最近ではあればゲーム「サイバーパンク2077」それから派生した傑作アニメ「サイバーパンクエッジランナーズ」、不朽の名作映画「ブレードランナー」を想像すると思う。(作中でもブレードランナーという単語がでるため、作者も好きなのだろう)
こういったものというのには、だいたいサイボーグ、電子ドラッグが蔓延るアナーキーな夜の街。ネットの世界を駆け巡るハッカーなどがセットなのだ。
いかん、書いてるだけで菅野よう子ミュージックが頭に飛んでくるぜ。
だが本作、ベントラーベントラーは違う。
舞台は現代日本だし、お役所勤めのSFとは無縁の人間たちが主役だ。バインダーに挟まった書類に物を書き込みながら仕事してたりする。アナログ極まれり。SFとは程遠い小道具だ。
日常と非日常の折衷。
私はこの部分がこの漫画の最も優れている点だと思う。
SFの世界観は舞台装置が大切だ。
サイエンスフィクションを嘘くさく見せないように、世界設定から小物から上手に統一する必要がある。
未来感、ポストアポカリプス感がある設定や、未来っぽい建造物が舞台装置としてあるから、とんでもテクノロジーがでてきても違和感なく科学なんだろうと見る側は共通概念として理解できるわけだ。
「ロード・オブ・ザ・リング」を例に挙げよう。この映画は、「指輪物語」が作り上げた中世ハイファンタジーという共通概念を下地に作られている。(まぁそもそも原作なんだけど)
ドラゴンクエストや、今流行りの異世界転生などのなんちゃって中世に、現実に存在しないエルフ、ドワーフ、ゴブリンに説明がないのに、私たちの脳みそに溶け込むのは、いわゆる指輪物語的ファンタジーが共通概念としてあるからである。
これを、舞台装置として、下地にしているからこそ違和感なく主人公たちを葬送するエルフが成立するのだ。(読んでないけどこの認識であってるのか?)
この文脈は作品作りに於いてとても大切な要素である。
SFにもこのような共通概念がある。
ファンタジーと違い、ジャンルは多岐にわたるが、スペースオペラの共通概念は「スタートレック」、「スターウォーズ」、サイバーパンク系の共通概念は、リドリースコット作品群が作り上げていると私は思っている。
宇宙、メカニカルな多層建造物、流線型の飛行物、光るネオン、進歩したサイバネティック技術だったり、ディストピア的なサイバーパンクの世界観。
これがあってSFは成り立つのだ。
SFはテーマ状、生命倫理を問う話になりがちで、話や背景が暗くなりがちだ。私は好きだが、敷居は高い。
※映画史に詳しくないため、とんでもないことを言っているかもしれないが許してほしい。あくまで主観で持論ということにしてくれ。
「ベントラーベントラー」はそのブレードランナー的な舞台装置を使わず、身近な私たちの日常を下地にしながら、ハードSFでやる内容を、外星人という舞台装置を使うことによって「すこし不思議」くらいの要素に留めている。
次作の「キヌ六」ではSFお約束テイストをふんだん使ってにいるところをみると、このSFの共通概念という下地を武器として使えるにも関わらず、あえて読みやすいように現代日常レベルとの融和をテーマにこの漫画を執筆していると思われる。
ドラえもんよりハードなSF要素と日常を破綻なく折衷させる。
そこがすごいのだ!
わかんないことあるから、宇宙人に聞きに行こっかがテーマなので、自然と読者をSFの世界に誘ってくれる仕組み作りもそれに一役買っている。
みんな、普通に生活してるだけ。
これを可能にしているのが、作中の設定の緻密さと生々しい生活感。
日常とSFが緩く成立するように、日常の人間や機関を上手に構成している。
宇宙からきた理解不能の困ったさん達を仲介する首都圏民営警察外星生物警備課という存在。民間委託ってのがクールだよ。正規では対応できないから匙投げしてる感がうまくでてる。
みんな心底めんどくさそうに役所仕事してるのが最高にいいんだ!
そう!役所の人間ってこんな感じなのよ!(偏見)
その中でもサラッと放射線がでてるか、電磁波がでてるか計測してる業務的な感じがとてもリアル。
クタムという異星人が懇切丁寧に説明してくれるのだが、たぶんみんな何にもわかってない。わかっててもどうしようもないからリアクションも極めて薄い。
「えっ?やばくないすか?」くらいの感じ。
とりあえず「問題が解決すればいいや」の精神。そんな温度差が本作の魅力。
クタムの宇宙規模の常識と、地球規模の常識のズレを楽しみながら読み進んでいくことができる。
SFフルコース〜贅沢全部盛り〜
この漫画、すごいのが、SF方向にもサボりが全くない。
一部、本作の内容を紹介する。
ある異星人が人間の情報を得るために、生体情報だけコピーし、人間を複製。さまざまなテストの後、分解しようとする。
しかし、複製人間がそれを拒否。標本の意思は尊重されなければ!といきなり地球に送り返されてくる。しかも、記念品を贈呈されて。
「身体能力・知力ともに……最低クラスっ!!調査は第一段階で終了ォ!」
「おしまい?」
「そうだ!さすがにそこは理解したなっ!分解するから生成機の中に戻って!」
「分解ってバラバラになるって事?」
「そうだ!そこも理解できたなっ!オリジナルの君は元の星に居るしなっ!」
「バッ…バラバラは嫌っ!」
「う~ん…なんだ?自己保存の意思は強いんだなっ!よーし!返信だ標本の意思は尊重!最近はウルサイからなその辺…」
「返信してやる!中に入って!記念品を贈呈してやるっ!持っていけ!」
引用:ベントラーベントラー1巻より抜粋
著 野村 亮馬
4光年先から送り返される複製人間。
当然地球は大騒ぎである。
クタムは複製人間として法手続きすればOK!というが、もちろん地球にそんな法はない。
クタムは非常識じゃないか、と呆れるのだが、最終的に戸籍の法律とかがめんどくさくなるし、家族もまぁ娘が1人増えたようなもんだし…と同居して話は終わる。
「これであとは…複製人間として法的手続きすればOKですよねっ♪」
「そんな法律聞いた事ない」
「ソレ……ちょっと非常識じゃありません?」
「非常識はソッチだろ」
引用:ベントラーベントラー1巻より抜粋
著 野村 亮馬
こういうのって一般的に映画でやると、重い話になりがちなのに、みんなあっけらかんと受け入れていく。
それが上記の宇宙規模の常識と地球規模の常識のズレというポイントで解決してくれる。
いや根本は解決してないんだけど、「なんか、しょうがないか」でどうにかなっていくのだ。
大人ならわかるだろう。どんな会社の大事な仕事でも、予期せぬ事態が起こった時、最終的には受容するしかない瞬間がある。そこには「まあなんとかするしかないかあ」という諦めがあって、しかも大概のことは本当になんとかなるんだ。不思議だよね。
そういう感覚が描かれるから逆にリアル感がある。
これを、全3巻。
全て手を抜かずにギチギチにエピソードをぶち込んでくる。
作者の頭の引き出しどうなってんだよ。
ざっと一部を紹介すると、
東京タワーを占拠する微小な生命体の群れ
落ちてきた自走式戦車の処理
地球人を苗床に子供を育てる外星人
外星人が作った人造人間の飛来
どれもこれも重くなりそうなテーマなのに、全部悲劇的じゃなく、
「まぁ……そっか」で終わる。
なんか本当に外星人がきたらこんな感じなんだろうな日本人って。
作者の外星人への解像度の高さ
私は作者が外星人にあったことあるんじゃないかと疑っている。
本作の外星人に共通するのは、人間を、種としてなんとも思っていないというところである。
興味をもっているのはクタムという主要キャラくらいだ。
だから別にむやみやたらに敵対してきたりはしないし、侵略する意図がある外星人はいない。
彼らは彼らの宇宙的社会常識に沿って生きていて、ただ、その動線に地球と、人間があっただけ。という感覚である。
確かに、地球に飛来するだけの技術力があるのに、社会的にも遅れてる人間がいる地球を支配したってしょうがないもんな。
彼らはもう領土とか個とかいう存在のしがらみから脱却している。
死生観もまったく違う。ただ淡々と生きているだけなのだ。
外星人のデザインもいかにもなグレイみたいな感じじゃなくて、とにかく無機質で、生物的なデザインではない。
そして巻末にはこの外星生物、外星機械はどういうものなのか、事細かに説明してくれる。この緻密さがあるからよりリアル感がでて日常との破綻が起きないんだよな。「映像研には手を出すな!」に野村先生出演してませんか?
これを読むと、また作品がこちらに近づいてきて、より面白く読めるようになっている。
SF好きも納得。ほのぼの日常系好きにもおすすめできる
とにかく娯楽として優れている。映画とはまた違った日本漫画で表現されるSFっていいよな「弐瓶勉先生」の「BLAME!」とかさぁ。
でも難解でハードすぎるんだ!
そんなあなたにぜひ読んで欲しい。
そこまでハードじゃなく、SFの根幹を押さえた傑作。
興味が湧いただろう? そうだろう?
近くにいるなら貸してあげたいくらいだ。
なにぃ!? あげないよ! おっさんケチなんだよ!
あとがき……めいたもの
最近ブログ書くせいで漫画の事しか考えなくなってきた。
漫画の魅力を語るのは日記とは違うエネルギーを使う。出力が大変な感じがする。
でも好きだから止まんないんだよな。
仕事中に話の構成を考えて、帰ってきて忘れないうちに急いで形にするから脳の回転数が上がりっぱなしだ。
これがストレス解消というか、ある種の現実逃避になってるんだけど。
仕事?怒られない程度に適当にやってるよ。
でも漫画のほうが仕事より面白いから仕方ないよね。
魅力的な労働を用意しない社会さんサイドに責任あるよねスタイルでいく。
でもさすがに疲れてきたからちょっと休もっかな。
次は未定ということで。
ただ「星屑ニーナ」語るのだけは決めてる。
ではみなさま漫画読みましょうね。
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