ミソジノハカバ

脳内のガラクタ置き場。フィクションとノンフィクションが入り混じったカオスです。ゲームの話が多いですが、おもしろいと思ったことはなんでも書き留めます。

ゲームセンターノスタルジア

 英語の教師が言っていた。

「日本ではバスや電車が時刻通りにやってくる。これは最高なことだ」と。

 逆に言ってしまえば、その時刻より少しでも遅れたものはその電車やバスには乗ることができない……ということになる。そこに個人の状況は加味されず、時間という大きな単位で、機械的に群衆は処理されていく。

 その時の自分は社会の大きな、または細かな歯車として、古時計を動かすようにキリキリと回転しているのだ。何か大きな金属に挟まれた自分を想像し、憂鬱が加速していく。

 

 こんなことを思うのは、予備校の現代文の講義を受けたあとだからだろうか。それとも季節外れの長雨のせいなのか。はたまた約束通りに来なかったバスのせいで、約束通りの電車に乗れなかったからなのか。胸中を言語化するのは思いのほか難しい。そもそもこの行為自体が感傷的であり、モラトリアムの為せる業だと気が付くのは、私が数十年の時を経てからである。

 

 雲から滴り落ちる雫は額をうち、まるで汗のように頬を伝う。

 張り付いた長い髪と制服がまとわりつき、湿度も相まって湿地に足を踏み入れているようだ。たまらず、なじみの建物に入る。

 自動ドアが開くと、エアコンの冷気がぐわんと体を撫でていき、かすかな煙草のにおいが鼻につく。荒波が打ち付けるような電子音は不思議とそこに数秒いると気にならなくなる。その瞬間自分の居場所がここにあることを認識できる気がした。

 

 店内は対戦ゲームで溢れ、所狭しと対面台が並べられている。

 明滅する画面の前に詰まれた灰皿。レバーボールをせわしなく動かす音と、ボタンをはじく音が耳に心地よい。

 こんなに騒々しい場所だというのに不思議と人の声はまばらだ。各々が各々の世界に没頭している異様な空間。筐体という世界がそこにはいくつもあり、それを中心に人間たちの感情が回るここ「ゲームセンターエイチャリ」は銀河のようだ。

 

 そんな銀河の片隅に、時代の加速から振り落とされた星たちが、列をなしておいてある。テトリス怒首領蜂。そんな終わらない自分との闘いを続ける修羅の星の一角にいつも通り、「ヒューゴーさん」はいた。

 

 私がヒューゴーさんと出会ったのは数か月前。ちょうど予備校をサボることを覚えた時期だった。勉強も身に入らず、自分には何か特別な力や才があると思っていた……いや思いたかったあの時。無意識に逃げ込んだ城がこのエイチャリだった。

 陰鬱な現実から逃避するために、煙草の煙をくぐり、薄暗い店内をぐるりと歩く。

 古びた筐体の中に、小学生の時夢中になった『MARVEL VS. CAPCOM CLASH OF SUPER HEROES』を見つけ、不可逆な時の流れに心臓を締め付けられるような感覚にため息をついたとき、彼が目に入った。

 白い、というより青白く、不健康で瘦せこけた相貌。撫でつけられた前髪。大きな眼鏡をかけ、明らかにサイズオーバーのスーツをだらしなく着込んだ男。その癖に筐体に座る姿勢は美しく、将棋指しのような不思議な落ち着きと圧力がある。筐体の光がアンビバレントの塊のような彼を怪しく神秘的な星に見せていた。

 そんな彼がプレイしているのは『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』。

 不朽の名作ではあるが、もう時代の速さに置いて行かれた過去のゲームだ。

 使用キャラは「ヒューゴー」という巨漢の投げキャラで、彼のイメージとはあまりにもかけ離れたキャラクターだった。それが強烈に彼を印象付けた。

 3rdは家庭用でそこそこプレイしているし、50円の暇つぶしだ。興味本位で彼に乱入試合を申し込んだ。

 完敗だった。対戦と呼べるものですらなかった。

 不思議と悔しさはなく、芸能人に出会ったときのような興奮があった。

 こんなに強いヒューゴーは見たことがない。その後、私のほかにも何人か彼のヒューゴーに挑戦するものはいたが、彼のヒューゴーは挑戦プレイヤーをすべてなぎ倒し、ラスボスを倒し、ゲームクリアしていた。

 気が付けば私は帰りの電車をいつもより何本も遅らせ彼のプレイに魅せられていた。

 それから彼を畏敬の念をこめて「ヒューゴーさん」と呼ぶようになった。

 

 そんな数か月前の邂逅を思い出しながら、ヒューゴーさんの対面に座り、いつものように50円玉を筐体に入れる。

 NOW,FIGHT A NEW RIVAL!! と軽快なアナウンスが流れる。

 ライバルなどとはおこがましい。ヒューゴーさんは私の遥か彼方の天空にいる格上だ。

 いつものように「ケン」を選択し、「疾風迅雷脚」を選択する。ヒューゴさんは「ヒューゴー」、「ギガスブリーカー」を選択する。

 

 私の攻撃はすべてヒューゴーさんに受け止められ、手痛い投げを何発かもらい、50円は数十秒で消え去っていく。いつもどおりの美しいプレイ。私はヒューゴーさんに負けた後、彼の脇を通り過ぎ、敬意をこめた会釈をする。ヒューゴーさんはこちらに顔も向けず、いつも会釈を返すのだった。

 そんな不思議な関係とも呼べない一方的な羨望をヒューゴーさんに向け、コートを着ずには予備校に通えない時期になった時、いつも来ていたヒューゴーさんがエイチャリに来なくなった。

 輝いていた筐体が、一つ明度を落としたように感じた。

 夢から覚めるような感覚が胸に落ち、そこには悲しみも、憂鬱さもなかった。

 なにか不思議な納得があり、私はエイチャリにはいかなくなり、大学生になった。

 

「聞いてる? 〇〇君?」

 

そんな上司の声に、白昼夢から引き戻される。

「あ、ええ。申し訳ありません。I支店への出向ですよね」

自身を社会になじませるように頭を切り替え、業務内容を復唱する。 

「うん。申し訳ないけど頼むよ。微妙に遠いんだよね。あの支店。駅前とかなぁんにもないしさ。つまらない出張になると思うけど」

「いえ、大丈夫です。あの辺、学生の時予備校で通ってたんですよ。土地勘もあるのでちょうどいいです」

上司は少し驚いた顔をした後、可笑しそうに笑った。

「なんだ! 地元かい? じゃあ久しぶりに友達なんかとあっておいでよ」

「うーん、会いたい人はいるんですが、会えますかねぇ」

「連絡とってみればいいじゃん?」

「連絡先知らないんですよねぇ」

上司は怪訝な顔をして業務書類をまとめ始める。

「そんなことある? それ友達なのかあ?」

「どうなんでしょうねぇ。ヒューゴーさん。今何してるんでしょう」

「え? 留学生なの?」

上司は素っ頓狂な声を上げながら、出張旅費規程、引継ぎ書類をファイルにまとめて差し出してくる。この辺の気配りができるのが上司の魅力だ。

「まぁそんなとこです。失礼します」

私は説明もそこそこにデスクに戻る。

「因縁めいているよなぁ」

と一人ごちてみると、まるで小説の登場人物になったかのようだった。

 

 出張は滞りなく、滞在先のホテルに戻る前、足は自然とエイチャリに向いていた。ゲームセンターなんてもう何年も行ってない。

 

 店内は閑散。プライズコーナーが増設され、ゲームの筐体はゲーミングPCにとって変わられていた。時代の流れを感じながら煙草に火をつけようとするが、店内禁煙の張り紙をみてため息をついてしまう。

 そんな店内の端のほうに、懐かしいゲームがある。

 私は筐体にコインを入れ、一息つき、ノスタルジアに浸る。

 

 NOW,FIGHT A NEW RIVAL!! と軽快なアナウンスが流れる。

 

 驚いて横から対戦相手をのぞき込む。

 あの日の自分が、対面に座っていた。

 

 思わずおかしくなり、使い慣れないキャラクターを選択する。

 つかの間のヒューゴーさん体験。

 楽しませてもらおう。