ミソジノハカバ

脳内のガラクタ置き場。フィクションとノンフィクションが入り混じったカオスです。ゲームの話が多いですが、おもしろいと思ったことはなんでも書き留めます。

【日記・イラスト】中年幻想ワンハンドレッド・マーチ

何事も継続が大切だという。

 

私は飽きっぽいのでなにかを継続させることが苦手だ。パチンコとかスロットの当たりよりも継続率は低いんだろうと思う。いや、パチスロの仕組みなんぞ知らんけど。

 

継続は力、なるほどその通りとも思う一方、継続は力だ!とか言いながらやる行いはやらない方が身のためなのでは?なんて思う性分なわけです。

そんな自己暗示をかけながらやらなくちゃならないことって、多分適性がないか、心の底から必要性を感じてないかのどっちかだと思うんだよ。

 

身内の話で大変恐縮だが、母がダイエットをしたいそうだ。私は筋トレを続けてきて、体を引き締めてるからなにかコツがあると思ったのだろう。

 

その時、母に言ったアドバイスがある。

 

「ダイエットするっていいながら人体や栄養について調べなかったりする人って、苦労するくらいなら『自分は今のままでいいや』『なんなら今のままでも割とイケてない?』『人間中身が大事!』『好きなもの食べることのほうが幸せ!それを失うことはつらい!』とかやらない理由を心のどこかで探してるんだよ。そうじゃ無い人は何も言わずに計画的に痩せるし、ダラダラ悩む間に何かするはずだよ。目の前になんでも教えてくれるスマホあるじゃん」

 

無言で電話を切られましたとさ。

 

多分、母は痩せる覚悟も、太った自分を受け入れる覚悟もないのだろう。そもそもねじくれた私が真剣に取り組んでいる分野に安易に足を踏み込むのが悪い。

そこはキルゾーンだよ母さん。私がどんな息子かはあなたが1番よく知ってるだろうに。

 

misojinohakaba.hatenablog.com

 

私はいずれやろうっていうものとか、何かしてる時にある種の壁を感じた瞬間、潔く諦めるようにしてる。

物事、万事適材適所で、適性があることに全力を尽くす方がいいような気がするからだ。

 

生きるために必要な適性は多少の苦痛を伴ってでも得るべきだとも思うが、多様性を重んじる現代ではそんな考え方も時代遅れになってきている。

みんなが好き勝手生きる時代がくるのだろうか。まぁ自分で責任さえ取れればなんでもいいんだけどね。多様性という自由のなかで、自分のやることに対する責任を正確に見積もれる人ってどれくらいいるんだろう。

責任を外に求めるのはダサいから私は堅実に生きるようにするけど。

 

話が脱線した。

 

自分が心から納得して苦しみすら楽しめるようになれるものを大切にするべきだと言いたいのですわ。

人生は短いらしいので、自身に適性なものを探るために、数多くの物や考え方に触れていく方が楽しいよ。できないことを無理に伸ばすより、パラメータ特化型のキャラビルドってだいたいなんのゲームでも強いじゃん?

 

あえてネガティブな言い方をすると、できないことをさっさと認めて、諦めて捨ててしまう練習もしないといけないんじゃあないだろうか。

これは悪い意味で言ってるわけじゃあない。

真なる「諦め」は自分の弱さを客観的事実に基づいて、そのまま認めなくてはならない。自分の理解や、力はこれ以上には達せないと分析し、自身の想いや希望、不確定な未来の可能性を損切りする事だ。意外にも「諦め」にも覚悟と技術がいるのだ。舐めてはいけない。

 

思うにみんな「継続」の覚悟ばかり賞賛しすぎだと思う。

「諦め」の覚悟も同等に賞賛すべきではないか?

真剣に考えれば、押すも引くも同じ熱量と覚悟がいるのにね。

持論だが、継続も、諦めも、やり抜く覚悟が中途半端だと、諦め切れなかったり、報われなかった時、必ず他者を攻撃するようになる。

重ね重ね書くが、自分の選択の責任を他人のせいにしたり、当て擦るのは最高にダサい行為だ。

百歩譲って、崇高な思想があって啓蒙目的で他者を諭すつもりなのであれば、それはそれで生半可ではない覚悟をもってやるべきだ。

 

何事も、物事の中心は自分の意志と、倫理だ。

これらは自分の真の納得で形成される。納得の強さは物事に向き合う真摯さで決まる。私は自分の中心を大切にするために、謙虚に学びながら生きていきたいと思う。

 

えーと、なんの話だったかな?

 

まぁつまるところ本当に強いのは継続を継続と思わない人だと思う。

気がつけば夢中になって、後ろをみたらある程度何かが積み上がっていたら、それは自分に適性があったということなのだろう。

 

そもそもなんでこんな話をしてるかというと

 

私のブログ記事はこれが100記事目で、気がついたら100も駄文が溜まっててビビりつつ、幸せを感じました。読んでくれた人達、ありがとうございます!

うーん。100記事目にふさわしい傑作。サイケデリックスパルタ!



・・・とそう言いたいわけ。

それなのになぜこんなひん曲がった言い方しかできないのか!

それは私がひん曲がっているからだ!

 

100記事書いたぞー! すごいぞー! やったー! 総計何万字になるのかしら! 大学の卒論より書いてるんじゃないこれ!? ヤダーー!!(オネェ調) 

 

と人に吹聴し、承認欲求を満たそうとしている自分が恥ずかしいからだ!

 

でも、現世では誰にも伝えられない! 

職場で「へへっ・・・僕のブログ100記事なんスよフホヒ・・・」なんて三十路男性が言ってみろ。ハラスメント機関が飛んでくるだろ。

 

でも何とか記録したい!

嗚呼!もどかしい!なんと女々しいことか!

だから最近ちょっとオネェ口調みたいになる瞬間があるのか?困るのよね。

本筋に入るまでに継続を考察して、1500字近く1人でしゃべるのはあまりにこじれている。ちょっとおかしいんじゃないかしら。

 

でも私はそんな自分を愛している!

 

 

ちなみにブログとあわせて、筋トレも継続中。

体を壊したらやめるといっていたが、あれは嘘だった。

休職して、ニートしてても筋トレだけは止まらなかったです。

最近は肩トレに力を入れている。

体つきはゴツくなってきた。

 

しかしながら、バズーカはまだ止められなさそうである。