ミソジノハカバ

脳内のガラクタ置き場。フィクションとノンフィクションが入り混じったカオスです。ゲームの話が多いですが、おもしろいと思ったことはなんでも書き留めます。

この世界の速度上限は秒速30万キロメートルだ。

 駅のロータリーにバスがある。

 

 汚くもなく、綺麗でもなく、レトロ的な良さがあるわけでもない。生活手段としてのバスがそこにどしんと座っている。

 出発を待つ車内の人はまばらで、派手な服を着て携帯電話と談笑する中年男性、その傍らで文庫本を手に、静かに時を過ごす女性が見て取れる。全てが対照的で私の目を引いた。

 恐らく2人の間に流れている時間の速度は違うのではないだろうかとふと考える。

 光速度不変の原理とか、相対性理論の話じゃない。さっきも言った通り、バスは動いてない。

 私は駅前で待ち合わせの時間潰し。ぼんやりコーヒーを飲みながら外を眺めているだけで、カフェは秒速30万キロで動いたりはしていない。

 ぼんやり、アイスコーヒーを喉に流し込みながら、脳内の思考の元を辿って、咀嚼する。私はゆっくり飲み物を嗜むのが苦手で、すぐに飲み込んでしまう。胃に落ち込む時のコーヒーの速度は秒速何キロメートルなんだろう。

 

 いま、私の感覚的に彼らの間に流れている時間の速度は違う。物理の話じゃなくて、意識の話だ。

 物体は動いていないけど、流れている時間にズレがでることがある。時間知覚のズレという人間の身体や、心理の問題らしい。それは当人が感じるもので、第3者が観測する類のもんじゃあない。

 でも側から見て、この人の時間は自分よりも緩やかに経過しているとか、早く流れていると確信する瞬間がある。その理由は言語化されない『大きな流れ』があるのではないかと日々ぼんやり考えているわけだ。

 他の人は経験したことないのだろうか。とても不思議だ。観測者の時間知覚が他者評価に影響してるんだろうが、そういってしまうとなんとも味気ない。オーラだの、気だの全く信じていないが、事実として不可思議な対人感覚を主張する人間は古今東西に存在するわけだから、一笑に付すっていうのもどうにもつまらない。

 光速度不変の原理みたいに「学」で解明して欲しい。

 いや、わからないから人間は面白いのか。

 

 そんなことを考えていると、体に合わない大きなリュックサックをもって、肩から水筒を下げた少年がバスに走り寄る。なにやらペラ紙とバスを交互にみて、指差し確認をしている。夏の終わりに一人旅だろうか。彼にとっては大冒険だろう。

 私の見立てでは、彼の時間知覚の速度はきっと速い。早くて早くて、早過ぎて、秒速30万キロメートルを遙かに超えて、時間知覚タイムスリップを起こしているはずだ。

 彼のスピードは地球を何周も何周も周回して、収縮し、圧縮された24時間の密度は1ヶ月くらいに縮まっているに違いない。私も子供のころは無限と思えるくらい長い1カ月の夏休みを楽しんだものだ。大人になって、体を壊して休暇を取った時の2か月なんて体感2日くらいで消し飛んでいるのに本当に不思議だ。

 

 彼はかつて私が過ごした長い長い夏を生きているんだろう。

 そう考えると、彼がとても神聖な存在に見えてきて、ふいにそのバスに乗らないでいて欲しいと思う。彼の終わらない夏は俗世に触れた回数分短くなるような気がするのだ。

 

 彼はバスに乗った。

 新たな経験で、彼の時間知覚は減速を始めるだろうか。

 

 私は氷が溶けて、味のしないコーヒーの残骸を啜る。

 この世界の速度上限は秒速30万キロメートルだ。これは物理学で決められている。

 もしくは神様がきめたルールだ。

 光速度不変の原理は誰にも打ち破られない。

 

 彼がこのまま光速を超えて、夏を進め続ければ、いずれ何かがきて、彼に速度超過の切符をつきつけるんだろうな。

 

 そんなことを考えているうちに、待ち合わせ時間は15分過ぎた。

 どうにも友人の時計は壊れているらしい。

 

 今、「私の時間」は1時間程、過ぎ去っている。