私には親父がいる。(当たり前)
頑固で厳格。亭主関白という言葉が似合う親父で、おっさんになった今でも頭があがらない。
顔は船越栄一郎さんに似ている。
親父は理系の煮凝りでできたような人間で、ガジェットオタクだった。
よくよく思い出せば家にはオーディオ機器が並び、当時珍しかったPCもすぐに購入していた。家族で一番最初にスマートフォンを購入したのも親父である。
だから、私が生まれたころから家にはファミコンがあり、スーパーファミコン、プレイステーション、プレイステーション2など新しいハードを購入すると、スペックを確かめるために私がゲームをプレイするのを覗きにきては、
あれやこれやとヤジを飛ばす嫌なおっさんだった。
特にバイオハザードをプレイしている時の親父はすさまじく、生命倫理を説きはじめる困った人間だった。
「彼らは人間だったんじゃないのか? 銃で撃っていいのか?」
親父は口をへの字にして私に尋ねる。ブラウン管の中のゾンビはそんなことお構いなしに私ににじり寄ってくる。
「でも、父さん。ゾンビを撃たないと、噛まれて僕が死んじゃうよ?」
困惑した私はウイルスで彼らはゾンビ化したことも丁寧に説明する。それがさらに親父の倫理観の何かに触れたのか、演説じみた説教は加速していく。
「では彼らはウイルスに感染しただけで、撃ち殺されているのか? かわいそうじゃないか!」
「・・・そうだね。でもゾンビは今、僕を殺そうとしてるよ?」
父は難しそうな顔でうつむき、
「彼らを救う手段はないのか!」
と私を叱った。どこぞの国のヒーローだったのだろうか。そんな発想ゲーム内でも誰もしていなかったように思える。
そもそも救う手段があれば、バイオハザードは発生していない。
うーん。と頭をひねっていると、ゾンビは当然私を噛み殺していく。
悲痛な声をあげ、倒れるクリス。
「・・・おい。GAMEOVERになったぞ」
「そうだね。死んだからね」
「・・・そうか」
親父はしばらく考え、何か納得したようにうなずくと、
「ゾンビだし、撃ってもいいか」
とすべてを放り投げ、焼酎を飲みにいった。
まぁゲームだしなぁ。
ゲームと現実を一緒にしちゃだめだよ父さん。
と幼心に何も言わずに父の背中を見送った記憶がある。
書いていて思ったが、たぶん私、妻に同じことしているだろうなぁ。
そんな親父はハードには興味があるが、ソフトには興味がない変人らしく、延々とスーパーボンブリスをプレイしていた。
※当時はイカれてるなぁと思ってたけど、今ならわかるよ。父さん
そんな中、親父と私をつないだ一つのゲームがある。
親父は、昔、光の戦士だった。いいキャッチコピーだ。
そう。私たち親子をつないだのは、
である。
※公式ページがあるってすごくないです?
キャッチコピーは私が好きなだけである。
本記事とは何も関係ない。
このゲームを超える釣りゲームに、私はまだであったことがない。
当時、グランダー武蔵によって空前の釣りブームが巻き起こり、周囲の友人たちが釣りにいそしむ中、何を間違えたのか、私は糸井重里のバス釣りNO.1を購入したのである。もうすでに陰キャの片鱗が・・・。
このゲームとにかくよくできており、釣り好きにはたまらないものとなっていた。
大きな池をボードで釣りするもよし、陸(おか)っぱりから釣るもよし。時間、四季、天候によってタックル(釣り道具)やルアーを変え、ボトム(水底)を攻める、シャロー(浅瀬)を攻める。スピニング、ベイトからリールを選んだりもでき、バックラッシュまで再現され、アタリからフッキングをするという動作も再現され、魚とのファイトをリアルに楽しめた。
大会で他のアングラーと競い、釣りあげた魚の重量で得たポイントで新たなタックルを購入していく。
たぶん今やっても面白いはずだ。
この釣り用語だらけの記事。本当になに言ってるかわからないと思う。
このゲーム本格的すぎて、マジで釣りに詳しくなってしまうのである。
例えるなら
なのである。
当時、小学生の私。
攻略のため、友人の釣り好きのお父さんに聞き込みにいき、
「この時期の朝マズメ狙いなら、トップウォータールアーってミノーかポッパーどちらがいいですか」
と聞き、仰天されたのを思い出す。
さて、このゲームをプレイするにあたってぶつかる壁は、魚の習性を知らなくてはならないというところだった。ゲームのチュートリアルはあれども、中々うまくいかない。
そこで私は当時熱帯魚を飼育していた親父に魚の習性を聞きに行ったところでが間違いで、親父はこのゲームにドはまりしてしまったのである。
このゲーム。公式ページでもあるように一人用のゲームである。
どう親父とプレイするか。
ポイントを教えあう。ただそれだけである。
共同でなにかしたりとか、キャッチボール的なものではない。
「南西の流木のあたり、釣れるよ」
「冬場のメタルジグで底引きしてるとき、大物がかかるよ」
など、飲み屋で繰り広げられるような会話を親父としていた。
その光景、光の戦士とはほど遠く、さながら田舎の釣り師である。
懐かしい思い出だ。
この間実家に帰ったら、スマートフォンのよくわからないパズルゲームを一日中やっており、母から小言を言われまくっていたが、意にも介さずな様子だった。
その光景をみて、
なるほど私はこの男の息子なのだな。遺伝子って怖いな。としみじみ思った。
ちなみに私は船越栄一郎さんには似ていない。
母親似である。