私はあまり晩酌はしない。
なぜなら依存体質だから。煙草であれ、酒であれ、一度習慣化してしまうと誘惑を断ち切るのが難しい。思い出と匂いが切っては切り離せない関係性にあるからだろう。
小説を書いていた時、酒を飲んでいる時、夜道を歩いている時。シーンに結びつけられたマルボロの香りは今でも、それはもう鮮明にふわりと香るのだ。それは幻肢痛に似ている。私の脳みその感覚野はもうニコチンでバグっているのだろう。
煙草はもう数年吸っていないが、今でも飲み会帰りの月夜の晩に煙を燻らせ詩人になっていたのを思い出す。夜と煙草と酒は切って切り離せない。
喫煙者はもはやパブリックエネミー化しているのが悲しくてならない。煙草もそう捨てたもんじゃない気がするのだが、それは喫煙者の弁なわけで、吸わない人からすりゃたまったもんじゃないのもわかる。
昨日は中秋の名月だったらしい。
なら月見酒とでも洒落込もうと心に決め、カーテンを閉め切った部屋で久しぶりの晩酌としゃれこむことにした。
好きなツマミを買い揃え、月見で一杯ってのも悪くない。妻を誘い、夜会を開くことにした。各々思いも思いの酒、ツマミを寄せ集めて乾杯をする。これは大人の特権だ。
妻は酒に弱く、ビールを舐めるように一口二口飲んで、飽きて寝てしまった。
今は1人で二次会をしている。
お気に入りの曲、「GOING STEADY」の「佳代」、「銀河鉄道の夜」、「夜王子と月の姫」、「ジョン・メイヤー」の「Neon」、「THE YELLOW MONKEY」の「バラ色の日々」を聴きながら、金麦を楽しんでいる。
曲の間に微かに聞こえる虫の音がライブの歓声のように鳴り、換気扇のノイズすら今は愛おしい。
妻に内緒で買ったマルボロに火をつけ、20代に若返ったような気持ちで、センチメンタルに浸る。
換気扇に流れていく煙は直ぐに吸い込まれていく。おそらく夜の街に排出されていくのだろう。私の煙は月に届くのだろうか。霧散していく煙に思いを馳せる余裕がある夜ってのも悪くない。
明日の朝、煙草で叱られる私は明日の私であって、現在の私ではない。いまはこの空気を存分に楽しむことにしよう。夜に文を書くなっていうのはこういうことなんだろうと腑に落ちるわけだが、これは気持ちがいいのでやめられないよな。
夜は人を狂わせる。なんとも度し難い。
換気扇から座卓に戻ると、自分が買ったつまみが並べられている。
白子、数の子、カツオのたたき、金麦。
図らずともプリン体のフォーカードが完成している。
かつて、ゲームでできたひとまわり年上の友人が、痛風には気をつけろと言っていたのを思い出し、苦笑している。まぁいいや。痛風になるのは未来の私。現在の私には関係ない。とビールを煽る。
『2人のために、2人にだけに、この星は回っていたのだろう』
引用:GOING STEADY 「佳代」より
作詞:ミネタカズノブ
ミネタカズノブが耳元で歌う。
今この瞬間は、「私のために、私にだけに、この星は回っているのだろう」だ。
麻酔がかかったような脳みそは、シラフでは書けないような夢の残滓を文章に残してくれる。それはそれで価値あるものだ。
近々ブログ名やらを変えようと思っている。
私はゲームを主にブログを書くつもりでいたのだが、やっぱりゲーム以外の日記も大切にしたいと思い始めている。
「電脳遊戯備忘録」を名乗っているのに、あまりに関係ない記事が増えるのは私の美学に反する。ブログを複数運用するなんてことはしたくない。ブログは私の外付けHDみたいなものなので、一部を切り離すのはこのブログのコンセプト的にちょっと違うのだ。
じゃあ改名することで解決しようという魂胆だ。
このブログをゲームコミュニティきっかけで読んでくださっている方もいらっしゃるので、ご報告させていただく。
ちなみに内容はなにも変わらない。
ただ、ブログの名前と画像なんかがちょっと変わる。
私は絵をかくのも趣味なので、ヘッダやアイコンなんかも変えて、ここを私の脳みその中身にできるだけ近づけていきたい。
また、変更したら記事にて新たにご報告させていただく。
こんな木っ端なブログで何を仰々しくと思われるかもしれない。
しかしながら、少数でも読んでくれる方がいるというのは私にとって想像以上の力になっているので、誠実にやっていきたいと思うのだ。
酔いが深い。今回はここまで。
ジェイミーであれば数十秒でシラフなんだろうなぁ。
現在プラチナ4まで上がってきた。ダイヤ目指しちゃおっかな。